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ブログネタ見っけ

ワタクシ、高校生時代も熱くトレーニングに明け暮れていたが、高校生ながらも空手に対して、それなりの一家言を持っていた。
なので、月刊空手道誌にそんなものも投稿したりした。
んで、採用通知がこれ。(何やら掃除していたら出てきた)
        IMG_2159.jpg
投稿の内容を要約すると

「寸止めルールは矛盾している。(当時ワタクシは、いわゆる寸止め系の流派だった)
本来の強さを競えないと思うので試合自体を廃止してはどうだろう?
そして試合を意識せず、実戦的な技の修練に励んだ方が良いんじゃないか?
もし試合をやるのであれば、ノックダウンルールでしょ」

だったと思う。
原稿用紙3,4枚だったか?
まぁ当然当時はネットなんか無いので、気軽に自分の意見を世に発信できない中、自分の投稿が載ったのは興奮し痛快であった。

ちなみにワタクシ、昨今、関節や締めも重要だよと啓蒙しておりますが、
近年の総合格闘技ブームからそう言っているのでは無く、
この高校生の頃、本部の偉い先生に
「関節技は必要でしょうか?」
と質問しており、その頃からの認識だったという事を、一応付け加えさせて頂きます。


  

インスパイリング

最近入会したO君に、こんな物を頂きました。
(O君とは、昔同じ道場に所属していて20年振りです。)

IMGP5284.jpg
90年ごろやった全日本キックの「インスパイリングウォーズ」のパンフレットです。
インスパイリングウォーズというのは確か年間を通したテーマだったような?忘れた・・・
で、これは日本武道館で行われたんですが、キックの一団体がやった訳ですから、当時としてはかなりのビッグイベントだった訳でして。



目玉はなんと言っても「ドン中矢VS佐竹」
わかる人にはわかると思いますが、この時の盛り上がりは凄かったです。
試合後は色々物議を醸しました。
IMGP5291.jpg


あと
「ピータースミットVSカーマン」
カーマンが負けたのは衝撃的だったなぁ。
スミットのスタミナと打たれ強さには、ただただ驚いた。



「デルクックVSチャンプア」
異種格闘技対決。
プロ空手vsムエタイですね。

IMGP5286.jpg
ヨーロッパルールとかWKAルールとかって時代だよなぁ・・・・



実は自分もこの大会に出させてもらってるんですよ。
この時は23歳って若かったなぁ。
おじさんにだって若い時期はあるのだよ
IMGP5288.jpg
OK牧場!

あと現在、北松戸のキックボクシングジム「ルーツ」の会長の中島さんも出ていたんだね。
現役としてかぶってた時期もあったかと思ったが、まさかお互いこの大会に出ていたとはね。
全然わからなかったわ。




あとO君に言われて思い出したんだけど
モーリススミスと高田延彦がやるって話になってて、結局、高田来なかったんだよ。
モーリスが一方的に煽ってたんだっけかな?
まぁ高田が悪い訳じゃないんだけどね。
これも話題になったね。

IMGP5289.jpg




まぁ色んな意味で懐かしいですわ。






テーマ : 空手
ジャンル : スポーツ

第2回 全日本格闘技選手権

その日、私は大阪府立体育会館のマットの上に立っていた。
昭和63年くらいであろうか。
相手は体が私より一回り大きい、シューティングのO選手だった。

その大会を知ったのは格闘技雑誌からだった
前年に第一回が開催されており、その過激さは当代随一だったと思う。
大会名は「全日本格闘技選手権大会」
まだまだ総合格闘技という名前や、戦い方のセオリーが定着する遥か前の話だ。
ルールは、打撃、投げ、関節、締めあり。金的攻撃もありだったろうか?
金的は覚えていないが、とにかく今で言う何でもありだ。
(書いていて思い出したが、ありだったかも。もつれ合いながら相手の股間にパンチを出したような記憶が・・・)
顔面に関しては、掌底での直接攻撃が認められていた。
「何だ掌底か、今は薄いオープンフィンガーでの攻撃や、ムエカッチューアなど素手で殴り合っているじゃないか」と思われる方もいるかも知れないが、当時、顔面攻撃はまだまだ新鮮で、顔面攻撃はどうするのか?という問題がまだまだ空手界に投げかけられている時代で、掌底OKというだけでも十分衝撃的だった。

主催は元極真全日本王者、故大西靖人氏である。何年か前に肝臓病で亡くなられている。
現役当時も肝臓を患われていて、長期戦は無理だからと、一撃必倒のためのパワートレーニングと、当時最先端の技術であった奥足ローを駆使して、短期戦で一本の山を築き一気に頂点まで駆け上がったと記憶している。
そんな氏の格闘技観が、反映されたルールだったのだろう。

その日の朝、出場選手は会議室のような所に集められた。
全部で20数名だった。
「やけに少ないな、そうだよな、こんなルールじゃ集まらないよな」
などと思いながら、ルール説明を受けていた。
はっきり言って説明を受けながらビビっていた。
それ用の練習など全くしていないばかりか、関節や締めなど全くわかっていないし、何より未知のものに対する、得も言われぬ恐怖感があった。
もっとも、他の選手もこれ用の練習などはしていなかったと思うが・・・・。
一通り説明が終わると役員が
「では、この用紙に署名してください」
と、みんなに誓約書が配られた。文面はストレートに
「死亡・もしくは後遺症が残っても一切不服なし」こんな感じだったと思う。
「こんなルールの説明を聞いたあとでサインするのは嫌だなあ。」
などと思っていると、みんな意外とスラスラと書いている。
ここで、ビビッていると周りに悟られ訳にはいかないと思い、私も何気ない顔を装いサインをした。

試合は人数が少ないからであろう、4ブロックに別けてのリーグ戦だった。
私は、よりによって第一試合であった。
2,3試合見てからやりたかったがどうにもならない。

客の入りは半分くらいだろうか?とても満員とは言い難かった。
一人でアップをする。
当時から、どの大会に出るのも常に一人だった。
敵地で一人で孤独に耐えるのも、自分を鍛える要素の一つという思いもあったし、たった一人で行って良い成績を収めたら痛快だろうという思いもあった。
ただ近年、仲間が居てくれて大会に出たことが柔術を含めて数回あるが、やはり心強くはあるし、荷物の管理など、色々な面で自分自身が気を使わずに済むというのは助かるとは思った。

そのうち開会式も終わり、試合の準備も整い名前がコールされた。
もうここまで来たら、怖いの何のと言っていられない。
肚を決めるだけだ。
対戦相手は冒頭にも書いたシューティングのO選手だ。
「始め!」と合図がかかった。
どう闘って良いかわからなかったし、相手も同じように戸惑っていたのではないだろうか?
しばらく睨み合いが続いた。
審判に、お互い攻撃をするように促された。
とにかく何かの攻撃を仕掛けていったと思う。
次の瞬間、相手の掌底が私の顔面にヒットした。
ダウンだ。
ダウンを取られた。もうその後は何も覚えていない。結局、その試合は負けてしまった。
その他の試合もほとんど記憶にない。
あるのは、組み技系の選手と闘って、右ミドルでダウンを取ったあと、副審の一人が私に対して執拗に反則の笛を吹いている。こんな場面しか記憶にない。
あれの何が反則だったのか今もってわからないが。

出場者の実力は玉石混淆 の様を呈していたと思う。
闘い方は、現在の総合のそれではなく、各自が修めている格闘技のぶつかり合いで、まさに異種格闘技戦。
強いて言えば初期UFCに近い感じではないだろうか?
やはり昔なのでレベルはそれ程高くなかったと思う。
試合は、このルールなので怪我で棄権する者やドクターストップ、ひいては救急車で運ばれる者もいだが、何故か私のブロックには、そのような者が一人もいなかった。
ブロックによっては負傷者が多く、労せずして勝ち星を重ねられた人も居たと思う。
私の戦績は3勝2敗くらいで、結局決勝リーグには行くことはできなかった。

優勝はN畑さんという、当時オープントーナメント荒らしとして名を馳せていた人だ。
ファイトスタイルは一言で言うと「気合の組手」である。
後に色々な大会で顔を合わせるなどして親しくさせて頂いた。
N畑さんとは同じ日本空手協会出身である。
この人も常に一人だった。カッコ良い。

帰りの新幹線では、悔しさに包まれ顔を腫らしながらも、どこかホッとしている自分が一人そこにいた。

当時は過激でまだまだ競技者も少なかったが、今は選手層も技術も上がっている総合のリングに、多くの若者が臆することなく参戦していることについては、隔世の感がある。

この大会は現在、九州の実戦空手の団体が受け継いでいるのではないだろうか。

キックジム入門last

バッグ練習はその他に、左ロー、左右ミドル、膝蹴りをやったが、何故かパンチを打ち込んだという記憶がない。

その他の練習と言えばミット、それとたまにスパーが入った。
記憶では、どの選手もパンチだけのスパーしかやっていなかったように思う。
何故かスパーは、何回かやらせてもらえた。
そして最後に補強をやって終了だった。
今では、とても無理だが、夏休みなどは18時頃から22時前まで、みっちりやっていたと思う。

練習生は、少なくともジムの中では寡黙だった。
その時は、私が一番年下だったせいもあったと思うが、あまり話をしたという記憶がない。
練習生同士も、それ程おしゃべりをしていなかったと思う。
だからと言って、雰囲気が暗いという訳じゃない。
どの練習生も、自分の練習が始まれば、ひたすらメニューをこなし、自分自身を追い込んでいた。
各自が、密度の濃い時間を過ごし、充実した空気がみなぎっていた。
そして、その空気が心地良かった。

ここにいた期間は自分にとっては、物凄く貴重なものだった。
おそらく、このジムのノウハウの何分の一かを知っただけだろうし、それを身に付けたのは、その更に何分の一かも知れない。
が、練習に対する姿勢を学んだ事や、その後の技術的なバックボーンになった事は間違いない。
私の空手活動の中で、印象深い場所のひとつである。





キックジム入門6

会長の言われるまま、蹴るのだが、どうも不恰好だ。
押し込むようにするのだが、「蹴っている」のでななく本当に押し込んでいるだけなのだ。
グ~ンと脛をぶつけていき、そのまま前にバランス悪く着地する。
全然、気持ち良くない。
「威力」という言葉とは、ほど遠い。
それと、どうしても回し蹴りというイメージから外から回してしまう。
また、ついつい高いところを蹴ってしまう。
この二つは良く注意された。
不恰好なローは連日続き、毎回会長から注意を受けた。

ところが、ある時 “ズドーン”と重い手ごたえがあり、
蹴り足が自然に後ろに戻ってきた。
そして、何より気持ち良かった。
「これかっ!」
心の中で叫んだ。
自分で蹴っていてもわかる。重いのだ。
程よい良い感じの脱力感で蹴れていたと思う。
おそらくコツを掴んだ瞬間だ。
この時から、右ローに関しては会長から注意を受けなくなった。
会長の「いくになっても・・」の言葉通り、ローは毎回かなり蹴りこんだ。
この時期、脛は上から下までドス黒く変色していた。
威力はかなり落ちているが、今でも多分、体の中に染み込んでいる。
この右ローが一番印象に残っている。

キックジム入門5

蹴り方はこうだ。

バッグの前にオーソドックスに構え、右ローを蹴るとする。
左足を、左斜め前方45度に半歩踏み出す。
その時点で、右足はバッグの中心より、やや右にあるはずである。
そこから右足を回すようにするのではなく、左斜め前方に膝を直線的に持っていき、脛全体を押し込んでいく。
このとき、脛はバッグの正面を捉える。
そして脛の角度は、縦に近い。
右膝は、バッグのほぼ左端に来ているはずである。
足首は蹴った瞬間、伸ばさずにバッグに巻きつけるようにする。
蹴り足の膝の角度は、直角と180度の中間くらいか。
軸足はこの場合は、ほんの少しだけ返し、踵は上げる。膝の角度は特に何も言われなかったと思う。
正面から押し込むと言っても、腰は横回転する。
なのでヘソは左を向き、結果お尻の右側が見えるはずだ。
かなり「腰が入った」というような姿勢になっていると思う。
右手は振り切るか、腕を伸ばし顔の高さで掌がバッグに触れるようにする。
蹴った瞬間上体が、後ろに反っくり返らない。
高く蹴らず、できるだけ低いところを蹴る。

こんな感じだ。
今で言う、縦のローキックに似ているが、多分腰の使い方が違うと思う。
キックの回し蹴りは、実に緻密だと思った。
当時の空手家の中には、キックの回し蹴りを下に見ている人もいたが、とんでもないと思った。

キックジム入門4

そしてシャドー

結局、在籍した間に、いわゆるフリーで動くシャドーはやらせてもらえなかった。
うちで言う順突きから逆突きのワンツーと、後ろ足を寄せてからの、前足止める前蹴り。
この二つのみを、毎回毎回やっていた記憶がある。
R数は覚えていない。
もちろん先輩方はフリーで動いていて、早く自分もやってみたいと思いはしたが、不満ではなかった。
会長の判断で、「こうだ」と言えばこうなのだ。

そしてバッグ蹴りに入る

まずはローキックからだ。
そして一番印象に残っているのは、これから書く右のローキックだ。
会長には入門時に、空手をやっていた(実際には、まだ並行してやっていた)と言ったと思うし、おそらく動きの中で、そんな感じを出していたのだろう。
「オマエは、一体どのくらいの実力なんだ?」という意味だと思う。
会長は私にローを蹴ってみるように指示した。
中学時代の防具空手と、当時、通っていた空手にもローキックは無かったが、私なりにローを研究?し、ローを練習していた。
とは言っても自信は全然なかった。
私は、バッグに向かった。
軸足をかなり曲げ、外から大きく回すように、甲で思い切り2、3発蹴った。
会長は
「わかった、もういい」と言い放った。
全然ダメだな、という感じだ。
オマエの実力は大体わかったよ、という感じだ。
だが、それは決して馬鹿にしているような言い方ではなかった。
そして続けてこう言った。
「いくつになっても、忘れないロー教えてやるよ」と。

キックジム入門3

最初は窓の桟に両手をつき、足を揃えて体を斜めにする。
そこから交互に腿を上げていく。
腿が上がった瞬間は、母子球を中心に軸足を返す。
同じく軸足の膝はピンと伸ばす。
上げている方の膝は、胸に付くぐらい高く素早く引き上げる。
これをリズミカルに行う。
ラスト30秒はリズムを取らず軸足を返さずラッシュ。
この運動は、蹴りの基本的な下半身の使い方を養うものだと思う。
これも3~4R。

それを卒業すると、桟に手をつかず、立ったままジム内を往復する。
やはり膝を高く上げることや、軸足の状態などは一緒だ。
全てに言えることだが、これもダラダラ上げずに一回一回、気迫を込める。
在籍期間後半に、こちらに移行できた時は、たったこれだけの事であるが、嬉しかったのを覚えている。

そしてシャドー

キックジム入門2

ジム内は決して広くなく新しくもなかったが、整然としていて清潔な感じだった。
初めて見る異形のバッグがぶら下がっていたり、リングのある光景が新鮮だった。
着替えて準備体操を済ませると、まずはロープからだ。
まず脇を締め手首で回すようにする。肩からは回さない。
アゴは引いて、常に上目使いで正面の鏡を見るように心がける。
基本のステップは片足2回づつ重心をかける。重心が掛かっていない方は爪先立ちになる。
ラスト30秒は、その場腿上げ状態で、ダーッとスパートする。
文章で書くとこれだけだが、これが中々難しい。
まず、腕が疲れる。皮で出来ていて結構重たいのだ。
手首を鍛える意味も当然あるだろう。
次にしょっちゅう引っかかる。調子が出てきたと思ったら引っかかる。
あとはアゴが上がってしまう。疲れてくるので、無意識のうちに呼吸しやすくしているのだろう。
ずっと上目使いで、鏡を見ているのも大変なのだ。
1Rは4分、休憩は30秒だった。
それを3~4R行う。
先輩方は、当然であるが、全然引っかかる事なくリズミカルに、そして休憩を挟まずに跳んでいた。

それが終わると腿上げだ。

キックジム入門1

高校3年生のときである。
思うところあって、キックボクシングのWジムに数ヶ月通っていた。
家から直線距離で20キロくらいの都内の某下町にあるジムだ。
直線で20キロといっても、バスの乗り換えや何んだで1時以上は、かかった気がする。
当時はまだジムが少なかったので、一番近いジムがそこだったと思う。

そのジムは雑居ビルの5Fくらいにあった。
初日である。
緊張しながら階段を上っていくと
“ダン、ダン、ダン・・・・”
とリズミカルな音が聞こえてくる。
ロープか腿上げの音であったと思う。
その音がいかにも、「キックのジム」という雰囲気を醸し出し、近づくにつれ更に緊張感が増していった。
一瞬、
「今日は場所の確認だけだ。正式な入門は後日にしよう」
という弱気な考えも浮かんだが、
「イヤ、ここで入らなかったら次は絶対来ない。今、入らなくてはダメだ」
と自分を奮い立たせ、入門の手続きを済ませた。

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